母の記憶を辿る
母は55歳で胃がんのため亡くなった。
1回目の結婚は見せることが出来たが、2回目の(今の)結婚、孫を見せる事は出来なかった。
自分が母になったからこそ、母の事を思い出す。
自分の母としての行動と、母が自分にしてくれた行動を重ね合わせる。
職場結婚だった母は、寿退社、兄と私が小学生になるまで専業主婦だった。
父は夕飯くらいには帰ってくるものの、ほぼワンオペ。
土日のお出かけは父主導で連れて行ってくれた記憶はあるが普段の生活、お世話の面ではあまり父の記憶がない。
「ママがいいー」派だったと思う。
母は美容院を実家(おばあちゃんち)の裏にあるところへ通ってた。
実家までは1時間半、乗り換え2回、2人の子連れでは相当大変だったと思う。
小さな私にとっては、1日がかりの大冒険で、途中、必ず寄るロッテリアや、電車の中で食べるお菓子が格別に美味しく、とてつもなく楽しかった。
わざわざ遠い美容院へ足繁く通うのか?
母は「ずっと通ってて安心だし腕がイイからここがいいのよ」と言ってたが、
兄と私を実家に預けるためだったんだと、
今しみじみ思う。
今のように子ども連れでもOKな美容院を簡単に探せる時代ではない。
ワンオペで子どもが離れず、ゆっくり1人美容院行く事もできない。
そんな母にとっては最高の立地の美容院だったと思う。
母はテレビが大好きだった。
バラエティもドラマも何でも観る雑食。
笑っていいともは、毎日欠かさず観たいらしく、録画してまで観ていた。
お陰でテレビを観る事に関して、制限された事は記憶にない。
母から「危ないよ」と注意された事は何度もあるが、ガミガミと叱られた事はない。
「宿題しなさい」「ピアノの練習しなさい」など、こうしなさいと言われた事がない。
いつも、環境は用意してくれ、見守られてた。
そんな背景があったからか。
私自身も「叱る」事ができない。
「叱る」必要を感じない。
危険なモノに対する注意喚起はもちろんするが、こうすべき、こうしなさい、と押し付けない。
子どもがいる今、外で子どもを叱る親を見ると、びっくりする。
大きな声でピシャっと怒鳴る姿を見ると萎縮する。
その家庭なりの正しい姿と思うが。
怒鳴られたり叱られなかった私は、小学生でも自分なりに考え、結論を出してたと思う。
今の母への思いは感謝でしかない。
見守ってくれてありがとう。
ワンオペでも子ども達に向き合ってくれてありがとう。
1番に子どもの事を考え、行動してくれてありがとう。
ふと思う。
自分の事、もっと楽しんでましたか?
私達が大きくなってからは、母の趣味のジャニーズや観劇へのウエイトが大きくなり、楽しんでたように思えるけど、
我慢してませんでしたか?
私は子どもが小さくてもワーママという道を選んでる。
ここは反面教師なのかもしれない。
育児で途切れる事なく、自分のやりたい事をやりたい。
母と、母になった私は、似てるところもあり、異なるところもある。
これでいいのだ。
母と自分を重ねてつらつら考えた、こんな日。